教会員です。今日も礼拝を守ってきました。
守るって言葉、教会的言い方ですね。礼拝に出席してきました。というのが一般的ですね。
今日は爽やかな朝だったので、プラプラ散歩をかねて歩いていた所、道が平行していないんですね、
教会よりかなり西側に出てしましました。でも、早めに家を出たので、礼拝の15分前に到着し、礼拝堂のステンドグラスを画像に収めました。天井は箱舟を模っています。落ち着きます。
今日の説教の一部をご紹介します。(大柴牧師先生 間違っていたらごめんなさい。)
説教のタイトルは「柔和さと謙遜さのくびき」
福音書の朗読は マタイ11:25~30
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」という 有名な聖句が含まれています。
この解釈を勘違いしていた部分がありました。
神様に託したら すっかり重荷がなくなるっと勘違いしていました、そうではなく、神様が一緒に重荷を担ってくださるということだったんですね。
徳川家康も「人生は重荷を背負って歩むごとし」という言葉を残しているそうです。
ちなみに、牧師先生のワイシャツの襟は(ベンケーシーみたいな襟)ですが、これは「くびき」を表しているんですって。くびきって牛などの動物の首につける木の道具のこと。
神様は一人一人にあったオーダーメイドのくびきを準備してくださっている、偉大なカウンセラーとして私たちを受け止めてくださる。という内容でした。
これからの1週間も、お守りください。
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