叔父の似顔がケーキに描かれています。
両手いっぱいの花束をいただきました。
1960年、カントリーミュージックの登竜門である「グランド オール オープリー」に東洋人として初めて出演しました。アール・スクラッグス氏率いるフォギーマウンテンボーイズをバックに「コロンブススタッケイドブルース」を歌い大喝采を受け アンコールでは「山の人気者」で応えました。叔父の輝かしい歴史です。
大学生の時代(19歳)からカントリーを歌い始めなんと66年。私の人生の時間そのものです。
私以上に叔父のことをご存知のたくさんのファンの方々の中で、若輩者の私が叔父のリクエストで司会の役を仰せつかりましたが、昔の思い出もご披露しながら進めさせていただきました。
1959年、叔父がオーストラリア、ハワイ、アメリカへ五弦バンジョーの武者修行へ旅立つ日に 小田原に住んでいた私たち姉妹(10歳、9歳、5歳)は両親に連れられて上京し、羽田まで見送りに行きましたが、機体トラブルで昼間出発するはずが夜中になってしまい私たちは母の実家(参宮橋)に預けられ、結局見送りができなかったこと。
また帰国コンサートが日比谷公会堂で開催されたときも上京し、その頃人気だった抱っこちゃん人形を父が入手してくれ、それを腕に着けて叔父のステージに見入ったこと。
叔父のお土産の洋服が海の向こうのにおいがしたことなどなど、、、、。
その話を聞いた姉が「ゆかちゃん、よく覚えていたね。それを聞いて私も思い出したわ」とはるか昔の子供時代を共有した時間でもありました。
85歳の今も健在な叔父は自己管理がしっかりできていると思います。これからも頑張って欲しい
です、応援しています。
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